ポストモダンと花見

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

タイトルはあまり関係ありません。
明日は会社で花見です。
行きたくありません。


ポストモダンの社会構造をを「オタク系文化」から解析していく。
動物化」や「データベース」、「大きな物語」など、東の他の著書でもよく見られる用語の定義があり、自分もなんとなくしか理解していなかったので勉強になった。
叙述としてはオタク系文化の述べながらその特徴を踏まえ、徐徐にその分析を社会構造へと広げていく形になっている。
最終章ではHTML、ギャルゲー等の構造もまたポストモダンを色濃く反映している、あるいは類似した構造であるとしている。
大きな物語」を失った現代では、「データベース」への欲求(消費)とシミュラークルの水準で生じる欲望の共存がポストモダンに生きる主体を一般に特徴づける構造である。
そしてそのようなデータベース消費への変化を「動物化」と呼ぶ。
動物化」したポストモダンの状況を東は特に批判することはなかった。しかし引用しているコジェーヴはきっと批判すだろうと予想している。東自身はこのような的確な分析結果をどう捉えているのか。「動物化」してしまった主体を人間とするにはどうすればいいのか。あるいはその必要はないと考えているのか。
本書の最後には「ハイカルチャーサブカルチャーだ、学問だオタクだ、大人向けだ子供向けだ、芸術だエンターテイメントだといった区別なしに、自由に分析し、自由に批評できるような時代をつくるために、本書は書かれている。」と記している。
制約や規則といった意味での「大きな物語」がある程度残っているからこそ、東は「自由」という表現を使用したのか。